こんにちは、丸山芽美です!
12月8日、9日に私の母の実家である宮崎県に行きました。
20年前に亡くなった母は分骨されていたので、ひとつにして私の父と一緒にいられるように
遺骨を引き取りに行きました。
それと宮崎にいる妹に会うためです。
恥ずかしいけど飛行機に乗るのも人生初。
飛行機恐怖症なのでとても緊張しました笑
母の半分の遺骨を抱いた時に涙がたくさん出ました。
普段は感じていなかったけど、やっぱり悲しかったんだなって。
涙と共に悲しさが浄化されました。
施設にいる祖母とは8年ぶりの再会。認知症で私のことわからなかったけど、魂はちゃんと感じてくれているのが分かるから、すごく嬉しかった。
親戚の人たちとも、いろいろ話すことができて、母の意外な一面をしれたり楽しい時間を過ごしました。
翌日は、宮崎にいる妹に3年ぶりくらいに再会しました。
私の妹は、私よりもさらにさらに波乱万丈でして、家族の中で1番感受性が高くて、1番優しい子。
「私の経験が役に立てるなら話しても構わない」と妹は言ってくれているので開示します。
私の妹は、覚醒剤に手を出しました。20年ほど前のことです。
それを知った父は激怒し、「廃人だから人生終わり。どうしようもない」
私は、どうにかそれをやめさせようと何とかしようとしました。
ずっと一緒にいて監視できるようにしたし、病院も行ったし、とにかく何とかしたいと。
妹のせいで幸せになれないと思っていたし、邪魔な存在だとも思いました。
けどほっとけない。
こんなこと誰にも言えない。
どうしよう・・・
初めは、本人にやめる気もなく、ただ自分が必死になっていただけ。
ダルクの女性シェルターに繋がることができました。
でも本人の気持ちがそこになく、すぐ逃げ出す。
また手を出す。
裏切られたと何度も思いました。
でも、これも私の勝手な押しつけ。
本人にやめる気がないし、頼まれたわけでもなく、ただ自分が不安だった。
妹の気持ちなんて考えたこともなく・・・
そんなことに気がつくのはまだ先のことですが。
薬物依存者家族会に出ることを勧められたものの
「何で私が家族会に出るの?薬物やったのは妹で、私関係ないし、めんどくさ!」って思いました。
でも本当は、妹の問題でもあり、私の問題でもあり、父の問題でもある。
家族がそれぞれに生き方間違えてるから見直すことが必要なんだけれど、その当時は分からなかったです。
自分はまともで、迷惑かけられていると思った。
薬物以外にも妹が起こす様々な問題で、私は解決するにはどうすれば良いのか必死になっていたとき、
「妹さんが、自分で気づいて決意しない限り見守ることしかできないよ」
とアドバイスされました。
その時、私は怒り心頭!
「黙って見てろっていうこと!家族なのに!冷たい!この人おかしい!」
そう思いました。
でも、これもまたその通りで、私は妹を変えることはできない。
本当は自分の人生の不満、不安や恐怖を妹の問題でごまかすことをしていたことが後に分かり始めました。
それに気がつき、妹のことは妹が自分で決める。
私は自分の人生に向き合うことを決めたあたりから妹は自分の足で回復の道を進んで行きます。
当時は本当に苦しかった。
頑張ったなと思います。
妹は、いつでも言っていました。
「この家族おかしい」
その当時は、「お前がおかしいから!私はまとも!」
なんて思っていましたが、本当に妹がいう通り。
妹が教えてくれたと私は思っています。
妹を恥じるどころか、優しくて素直で尊敬できる人だと思っています。
まだまだ気づきはたくさんあって、今後もブログで書いていきたいなと思います。
ありがとうございます。