こんにちは、丸山芽美です。
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。
先日、学校に長男の授業参観にいきました。
教室に入ると、壁には、それぞれ一人一人の1年間の目標が貼ってありました。
長男の書いたものを見てみると、家庭での目標欄に「家事のお手伝いをする」と書いてありました。
私はそれを見て、「えーーー?」と思い、こりゃ目標達成ならずか?と思いました笑
まぁ〜でも頼めばしょうがなくやってくれる長男ありがたいです。
同じ兄妹でも長女の娘は違います。
私が「やってくれる?」とお願いしても、「嫌だ!」と返すのが娘。
稀にやってくれる時もあります。
昔初めて娘に「嫌だ」とはっきり言われた時に、私の中でものすごく怒りの感情が出てきて、
ペットボトルを叩きつけてクシャクシャにしたことがありました。
「なんでやってくれないの??忙しい時には手伝って欲しいのに!」って
で、数日私は考えました。
どうして私は、こんなに怒りが出てくるのだろう?
浮かんでくるのは、私は我慢してやってるし子供の時はやってたという言葉。
子供の頃に手伝いをしなければ怒られて叩かれたこと
叩かれたくないから言われたことをやるしかない選択できない状況。
やらなきゃ痛いんですよね。
私は、そんな思いを娘にもさせようとしたことに気がつきました。
それに1番は、自分が自由な選択もできず、
本来、母自身が処理するべき私がお手伝いをしないことによって母の中に生まれるイライラを、幼い私が引き受けていたことに気がつきました。
そんな幼い自分にねぎらいと、もう相手の感情の処理をしないでいいよと言いました。
そしたら、娘に対して怒りどころか、また尊敬の念と教えてくれてありがとうと思いました。
自分の心に素直な娘、それを受け入れるということは、自分自身も素直な心で自由になるということですね。
私が娘に頼んだお手伝いを断られてイライラしたのは事実。
でもそれを娘が受け取り、無理にお手伝いをして私のイライラを解消するのは変ですね。
反対に私が頼まれる立場になった時、私には選択する自由がある。
私が断って相手が怒って、私もイライラしたとしても、すぐに離れる、相手の感情の処理はしない。
深呼吸して静かに自分を落ち着かせることをしています。
相手を怒らせたくないし痛い思いもしたくないと無理している人は、幼いころはどうでしたか?
罰を与えられませんでしたか?
授業参観の教室でふと思い出したのでブログに書いてみました。
では、また!